出典:岩波古語辞典、広辞苑第七版、万葉集、古今和歌集、源氏物語、枕草子、徒然草ほか
高校の古文の授業で「をかし」という言葉に初めて出会ったとき、正直よくわかりませんでした。「趣がある」と現代語訳されても、ぼんやりしていて掴みどころがない。それが変わったのは、清少納言が「をかし」と書いた場面を、教科書の解説ではなく自分でじっくり読んでみたときです。「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」——これを読んで、清少納言が「をかし!」と感じた気持ちが、なんとなくわかった気がしました。知的な発見の喜び、「面白い!美しい!」という感動が、たった二文字に詰まっていると気づいたのです。
古語の魅力は、その意味の「幅」にあります。現代語に直訳しようとすると、必ずはみ出すものがある。そのはみ出し部分に、当時の人々の感覚や美意識が詰まっています。この記事では、万葉集・源氏物語・枕草子などに登場する古語を30語選び、現代語訳と私なりの解説を添えました。古文が得意でない方でも「この言葉、こういう意味だったのか」と楽しんでいただけるはずです。
目次
- 王朝文学の核心にある言葉(6語)
- 感情の機微を表す言葉(6語)
- 人と人の情を表す言葉(6語)
- 自然と季節を表す言葉(6語)
- 心の動きと所作を表す言葉(6語)
- 古語を現代の文章で使うコツ
- よくある質問
- まとめ
王朝文学の核心にある言葉(6語)
平安文学を読んでいると頻繁に登場する語群です。特に「あはれ」と「をかし」は、紫式部と清少納言それぞれの美意識を象徴する語として対比されることが多く、この2語を理解するだけで平安文学の読み方ががらりと変わります。
- あはれ(あはれ):深く心を動かされる感情全般。喜び・悲しみ・感動・郷愁のどれも含む。現代語の「かわいそう」より広く、「しみじみとした感動」に近い。
使用例:「ものの哀れ」は日本文化の根底にある美意識で、紫式部が源氏物語を通じて描き続けたテーマ。「あはれなり」で「心を動かされる」という意味。 - をかし(をかし):知的に面白い・趣がある・こっけいなど。清少納言が枕草子で多用した言葉。「あはれ」が感情的な感動なのに対し、「をかし」は知性的な面白さ。
使用例:「いとをかし」(とても趣深い)という形で枕草子の書き出しに登場する。 - もののあはれ(もののあはれ):万物が移ろうことへの、しみじみとした感慨。日本文化の根底にある美意識。本居宣長が日本文学の本質として論じた概念。
- ゆかし(ゆかし):(もっと)見たい・知りたい・近づきたいという気持ち。知的好奇心のような感覚。
知らない部屋の向こうが気になる、遠くの音楽が聴こえてきてもっと聴きたい——そういう「引き寄せられる欲求」を表す。「見たい」という欲求なのに上品に聞こえるのが面白い。 - いとをかし(いとをかし):「いと(たいそう)」+「をかし」。とても趣深い、非常に興味深いという意味。枕草子の書き出しで有名。清少納言がこの語を使う場面は、必ず何か「発見の喜び」がある。
- あらまほし(あらまほし):こうあってほしい、理想的だという意味。完璧な状態への憧れ。「あらまほしき人物」は「理想的な人物」という意味。現代では「あるべき姿」に相当する。
📝 「あはれ」と「をかし」の違いを自分なりに整理すると:「あはれ」は夕焼けを見て胸がしんとする感覚、「をかし」は面白い発見に「へぇ!」と目が輝く感覚、というイメージです。同じ「良い」でも、入口が感情か知性かで全然違う。
感情の機微を表す言葉(6語)
平安時代の人々は、感情を細かく言い分けることに長けていたようです。現代語の「かわいそう」「つらい」「不安」では十分に表現できないニュアンスを、それぞれ別の語で描き分けていました。それは、感情に正確な名前をつけることを大切にしていた、ということでもあります。
- いとほし(いとほし):気の毒だ・かわいそうだ。ただし現代語の「かわいそう」より温かみがある。見捨てられない愛着を含む感情。保護者目線で「放っておけない」という気持ちに近い。
- うし(うし):つらい・憂鬱だ・いやだ。心の重さや鬱屈した感情。「憂し(うし)」から来ている語で、気持ちが前に向かない状態。
- わびし(わびし):みすぼらしい・つらい・寂しい。不満足な状況への感情。「侘び(わび)」の原型となった語。
元はネガティブな感情を表す語だったのに、時間をかけて「侘び寂び」という美意識になっていった。言葉が意味を変えながら文化になっていく面白い例。 - さびし(さびし):寂しい。ただし古語の「さびし」は現代語より味わい深く、簡素で静かな美しさも含む。「寂び(さび)」の原型。
- 心もとない(こころもとない):不安でそわそわする・じれったい。結果が気になって落ち着かない気持ち。これは現代語とほぼ同じ意味で使える数少ない古語のひとつ。
- うしろめたし(うしろめたし):後ろが気になって不安だ。後悔や気がかりな感情。現代語の「後ろめたい」の語源。「後ろ(うしろ)」を「目(め)」が気にしている、という語感がリアル。
人と人の情を表す言葉(6語)
人間関係を表す古語を見ていると、平安時代の人々がいかに相手への礼や情を大切にしていたかがわかります。特に興味深いのは「なつかし」という語で、現代語の「懐かしい」とは意味がまったく違います。これは古語を学ぶときの代表的な「罠」のひとつ。
- ねんごろ(ねんごろ):丁寧で心がこもっていること。親切で誠実な態度。現代では「懇ろ(ねんごろ)な仲」と使うと男女関係のニュアンスになることがありますが、本来は誠実で心のこもった関係全般を指す語。
- なつかし(なつかし):親しみやすい・引き寄せられる・慕わしい。現代語の「懐かしい(過去への感慨)」とは意味が違う。
古語の「なつかし」は「今、この瞬間に感じる引力」のような感覚。「なつかしき人」は「懐かしい人」ではなく「慕わしい人・引き寄せられる魅力のある人」。古語を現代文に使うとき最も誤解されやすい語のひとつ。 - こころにくし(こころにくし):奥ゆかしくて心が引かれる。すぐに全部見せない上品な魅力。「にくし」が「憎い」ではなく「引かれる・気になる」という肯定的な意味で使われる。「あの人はこころにくき振る舞いをする」は褒め言葉。
- やんごとなき(やんごとなき):格式高い・高貴だ。並みではない高い身分や重要な事柄。「やんごとなき方々」といえば高貴な人たち。現代でも「やんごとなき事情で」という使い方で格調ある文章になる。
- いみじ(いみじ):程度が甚だしいこと。とても良い、またはとても悪い(文脈で判断する)。プラスとマイナス両方に使えるのが特徴で、文脈から判断する必要がある。
- ゆゆし(ゆゆし):不吉だ・恐れ多い、または素晴らしすぎて恐ろしいほどだ。神聖なものへの畏敬の念を含む語。
📝 「なつかし」の誤用はかなり多く、古語を使った創作でも「なつかしき故郷」(過去への懐かしさ)という使い方をする人がいますが、古語としては不自然です。「慕わしき故郷」あるいは現代語で「懐かしい故郷」と使うのが正確です。
自然と季節を表す言葉(6語)
古語の自然表現は、現代語よりずっと細かく天候・季節・時間帯を言い分けます。「朧(おぼろ)」と「霞(かすみ)」は似たようなぼんやり感を表しますが、「朧」は月や空がぼんやりしている春夜のイメージ、「霞」は春の野山を覆う朝の霞——場面で使い分けていました。
- うらうら(うらうら):穏やかな春の日差しが暖かく照らすさま。「うらうらと晴れた春の日」という使い方。音そのものがのんびりしている。
- うららか(うららか):のどかで明るいこと。「うらうら」よりやや格調が高い表現。時候の挨拶や詩的な文章に合う。
- おぼろ(おぼろ):かすんでぼんやりしていること。月・空・記憶などがはっきりしない様子。「朧月夜(おぼろづきよ)」の「おぼろ」。輪郭がぼんやりしているからこそ美しい、という感性が好き。
- いかで(いかで):どうにかして〜したい(願望)、または、どうして〜か(反語)。文脈次第でまったく異なる意味になる、古語らしい語。文章を読むときに「これはどっちだろう」と考えるのが古文の面白さでもある。
- はかなし(はかなし):儚い・無常だ・取るに足らない。この世の移ろいやすさへの感慨。仏教の無常観と深く結びついている。「はかなき命」「はかなき夢」という使い方で儚さが伝わる。
- つれづれ(つれづれ):することがなく手持ち無沙汰なこと。「つれづれなるままに」(徒然草の書き出し)が有名。吉田兼好がぼんやりした暇な時間に書き始めた随筆——それが現代に残る名著になったのが面白い。
心の動きと所作を表す言葉(6語)
平安時代の人の所作を表す語は、どれもゆっくりとした時間の中にいる人間を感じさせます。「おもむろに」という語は現代語でも生きていますが、意味が変わっています——現代では「急に」と誤用されることが多いのですが、本来は「落ち着いてゆっくりと」という意味です。
- おぼゆ(おぼゆ):〜のように思われる・感じる。「覚える」の古語形で、自分の感覚をやわらかく表す語。「悲しくおぼゆ」「夢のようにおぼゆ」という使い方。現代語の「思う」より一歩引いた、控えめな言い方。
- うちつけ(うちつけ):だしぬけ・唐突。突然であることや、軽はずみな様子。「うちつけに言い出す」のような使い方。
- まことに(まことに):本当に・誠実に。「まこと(真)」から来た語で、誠実さを表す。現代語でも「まことに恐れ入ります」などのかたちで生きている。
- やや(やや):だんだん・少しずつ。ゆるやかな変化を表す副詞。現代語の「やや大きい」のような程度副詞とは少しニュアンスが違い、過程を重視する語。
- やうやう(やうやう):だんだんと・次第に。時間とともに変化していく様子。現代語「ようやく」の古語形。枕草子「やうやう白くなりゆく山ぎは」が最も有名な用例。夜明けがゆっくり明るくなる様子を、この語一つで表しきっている。
- あさまし(あさまし):あきれるほどだ・意外で驚く。良い意味でも悪い意味でも驚きを表す。「あさましいほど美しい」という使い方もできる。
古語を現代の文章で使うコツ
古語を創作に取り入れるとき、私が意識しているのは「読み方を文脈で補う」ことです。たとえば「あはれ」「をかし」は音が独特なので、会話文の中にそのまま入れても違和感がない。一方「いとほし」「うしろめたし」のような語は、近くに現代語の「かわいそう」「後ろめたい」があると読者に伝わりやすくなります。
もうひとつ大事なのが、「意味が変化した語に注意する」こと。特に注意したいのは「なつかし」(古語では「慕わしい」、現代では「懐かしい」)と「おもむろに」(古語・現代語とも存在するが、現代では「突然」と誤用されることが多い)。古語を使った創作で読者が混乱しやすいのは、こういう「知ってる気がするけど実は違う」語です。
語源を追うと、現代語との繋がりが見えてくることもあります。「侘び(わびし)」「寂び(さびし)」のように、もともとネガティブな感情語だったものが時間をかけて美意識に変わっていった過程は、日本語の面白い特徴のひとつです。
よくある質問
Q. 古語と現代語で意味が変わっている言葉はほかにありますか?
A. 意外に多いです。「やばい」が若者言葉として「すごい」の意味になったように、古語でも時代とともに意味が変化した例は少なくありません。代表的なものでは、「すごい」(古語では「ものすごい・恐ろしい」という恐怖のニュアンス)、「うつくし」(古語では「可愛らしい・愛おしい」で現代の「美しい」とニュアンスが違う)などがあります。
Q. 古語を小説のセリフや地の文に使う際、難しすぎませんか?
A. 読者の層によって判断が変わります。歴史小説や和風ファンタジーでは積極的に使えますが、現代もの小説に混ぜる場合は、地の文での説明か振り仮名を添えると読みやすくなります。「あはれ」「をかし」のような音が特徴的な語は、振り仮名なしでも雰囲気が伝わりやすい語です。
まとめ
30語を5つのカテゴリで紹介しました。古語は「意味を覚える」より「どんな場面で、誰が、どんな気持ちで使っていたか」をイメージとセットで覚えると定着しやすいです。「あはれ」なら源氏物語の月夜の場面を、「をかし」なら枕草子の夜明けの情景を——そういう具体的な場面と一緒に覚えると、言葉が生き生きとしてきます。
30語すべてを使えるようになる必要はないです。まず「これだ!」と感じた3語を選んで、創作の一文に入れてみてください。古語を一語使うだけで、文章全体の空気がすっと変わります。
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